三浦春馬さんの死に追悼の声が止まらない 残された人がやるべき事とは

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三浦春馬さんの死を受け、日本中の方々がと言っても決して過言ではないくらい多くの人が彼の死を悲しんでいます。
こんなにもたくさんの人から愛されていた三浦春馬さん。
追悼の声には「嘘であってほしい」「もう一度会いたい」「大好き」という、三浦さんを想い、慕う言葉で溢れています。
それと同時に、三浦さんと交流があった方々は「気になってはいたのに、連絡をすればよかった」「もっと話を聞いてあげればよかった」「気付いてあげられなくてごめん」等の後悔の言葉も多く見受けられます。
三浦春馬さんはどうしてこの世を去ってしまったのでしょうか。

たくさんの人から愛されていた三浦春馬さん

ごく一部のコメントを見ただけでも、三浦春馬さんの人柄の良さがうかがえます。

残された人がやるべき事とは

三浦春馬さんは、とても人当たりがよく、優しくて、仕事に対しても非常にストイックだったと、一緒に仕事をしていた方々は口を揃えて発言しています。
時折、心が折れそうな様子を見せることもあったようですが、私はその優しい性格がゆえに、気持ちのはけ口を他人に向けることが出来なかったのかもしれないなと感じました。
死んでしまうくらいなら、周りを振り回して、わがままを言って、仕事なんて投げ出して逃げ出してくれた方がどれほどマシなことかと思えます。
三浦春馬さんも、死を考えるほどの極限な精神の中で様々な葛藤があっただろうし、そんな状況から抜け出したいと過去にも何度も思ったかもしれません。
もしかすると、三浦さんは心の奥底が悟られないようにと、普段の自分さえも演じていたのでしょうか。

三浦春馬さんが亡くなったことで、彼に近しい人ほど「もっと何かしてあげられたのでは?」「どうして気付いてあげられなかった?」と自分を責めてしまうかもしれません。
でも、いくらそれを考えても、もう「三浦春馬」として戻ってきてはくれることはありません。
また、どれだけ彼の心情を憶測をしても、はっきりとした証拠がない限りは、死に至るまでの原因や三浦さんの細かな心情の流れとは、結局のところ彼自身にしか分かりません。

残された人がやるべきことは、勝手な憶測をすることでも、自分を責めて後悔することでもなく、この真実で思ったやるべきことをやることなのではないでしょうか。
もしかしたら、それは三浦春馬さんの原因とかけ離れたものかもしれないし、直接彼に関係ないことかもしれない。
それでも、あなたがその行動をするとき、三浦春馬さんはあなたの心に生きています。

姿形が見えなくなっても、記憶までが無くなる訳ではありません。目の前に想う相手がいなくても、共に生きていくことは出来る。
これは、親友を亡くした経験をした私が思った、一個人の意見です。

三浦春馬さんのご家族や、親しい友人や、彼を慕う全ての人の心が癒えることはなくても、いつか前を向けるようになることを願います。

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